artist interview 森岡成好

京都やまほんでの企画展開催を前に、和歌山・高野山で作陶に励む森岡成好さんを訪ねた。南蛮焼〆を中心に作陶をする森岡さんは陶歴40年のキャリアを持つ。自ら建てた家と工房。窯の傍らには堆く薪が積み上げられ、その迫力に圧倒される。「この前窯焚きしたばかりだから、薪の量はこれでも少ないほうだよ」と森岡さん。南蛮焼〆なら10日間ほども焚き続けるという窯はまだわずかに熱を蓄えており、生命体のような息づきを感じさせた。

聞き手=山本忠臣(gallery yamahon 代表)


山本「森岡さんは奈良で生まれて和歌山で育ち、現在はこうして和歌山で作陶されているわけですが、陶芸家になろうと思ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?」

森岡「はじめは陶芸家というのは全然頭になかったんですけれどね。僕は高校のときに大の映画好きだったこともあって、映画監督になりたかったんです。だから高校を卒業した後は、映画監督を目指して映像の勉強ができるアメリカの学校に入学したんですよ。奨学金を受けながら通っていたのですが、ちょうど当時のアメリカはベトナム戦争をめぐって反戦デモや集会が盛り上がっていた頃で、僕も次第に運動に熱心に加わるようになっていきました。そうしたら、まぁ当たり前なんですが、奨学金が降りなくなってしまったんですね。当時、映画に関しては学校で学ぶうちに、映画監督という職と自分の理想とする働き方とのギャップを感じていたこともあって、学校を辞めて帰国することになりました。結局、映画というのはどこかの企業に属さないことには作れないんですよ。だけど僕は1人でじっくりと作り出すものに向き合うような仕事がしたかったんです。
帰国後、何をしようかなと考えたときに、高校の時に映画と同じくらい好きだった山の中で、1人で何かものを作るような仕事はないかなと考えて、思いついたのが陶芸家だったというところです。」











山本「なるほど。帰国後、陶芸家を目指すにあたって弟子に入ったり訓練校に通ったりしたのですか?」

森岡「和歌山の高野山で陶芸をしている人がいて、その人のところに行きましたね。窯は電気窯でしたが、志野や粉引きなどわりとなんでも焼く人で。そこに10ヶ月くらいいました。」

山本「その人のところではどんなことを?」

森岡「小間使いのようなことばっかりしていて、焼物のことはほとんど何も教えてもらってなかったです。その人の実家がお寺で、工房のすぐ隣に寺があったのですが、お堂の上にひょいと登って雨樋を直したり、お使いを頼まれたり、そんなことばっかりしていました。おかげで高いところはちっとも怖くなくなりましたね(笑)。それが23歳の頃だったんですけど、お寺って蔵の中にお酒が無尽蔵にあるんですよ。そんなところに酒好きの若者を放り込んだらどうなるかっていったらひとつでね、次第にそこが若者のたまり場のようになってきちゃって。焼物のこと学ぶ前に、その人『お前はもう独立せぇ』って半ば無理矢理追い出されてしまったんです。」

山本「(笑)そうなんですか。じゃあ焼物に本格的に関わりだしたのはいつ頃だったんですか?」

森岡「独立後、今の場所に自宅と工房を構えることにしてしばらくは住まいを整えるのに手一杯だったから、20代の半ばくらいですかね。家がある程度住めるようになって、とにかく焼物のことをほとんど知らないからというので各地の窯場を訪ねていっては戻り、見てきたことを実践するという感じで。










 

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